制服カノジョ シリーズ論 ナンバリング、外伝、そして好きでい続けていいという保証

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はじめに

ここまで、『制服カノジョ』初代と『制服カノジョ まよいごエンゲージ』について見てきた。

初代『制服カノジョ』は、OPにかなり明確な哲学を置いている作品だった。
制服を、単なる可愛い衣装としてではなく、社会的拘束としての「不透明な私」と見なし、そこから自分だけの色を取り戻していく。

しかし、その哲学は本編ではほとんど語られない(笑)

初代本編は、OPに哲学を置きながら、本編ではそれをあえて語らず、カノジョとイチャイチャする時間そのものを供給する方向に振り切っていた。

一方で、『まよいごエンゲージ』は、そのOP哲学を夢羽というキャラクタの物語として実装した外伝だった。

夢羽は制服カノジョ活動の外側にいる。
にもかかわらず、彼女の物語は「不透明な私」から「私の色」への変化を明確になぞっていた。

つまり、まよいごエンゲージは制服カノジョ活動の外伝ではなく、制服カノジョ哲学そのものの外伝だった。

では、ここから見える制服カノジョシリーズ全体の構造とは何か。

今回は、ナンバリング、外伝、そして『制服カノジョ3』への回収を通じて、制服カノジョシリーズが何をしようとしているのかを考えたい。

ナンバリングと外伝の役割

制服カノジョシリーズを見るうえで重要なのは、『まよいごエンゲージ』に番号が付いていない理由である。

単純に考えれば、それは主人公が違うから、とも読める。

『まよいごエンゲージ』は、初代や2の主人公とは異なる主人公を立て、夢羽との物語を描いている。
だからナンバリングされなかった。
この読みは、もちろん成立する。

また、『まよいごエンゲージ』が発売された時点で、その後に『制服カノジョ2』や『制服カノジョ2.5』や『制服カノジョ3』がどう展開されるかまで、完全に決まっていたとは限らない。

だから、発売順だけを見て「まよいごエンゲージは1.5ではない。だから本編とは役割が違う」と言い切るのは、少し早い。

ただ、後に『制服カノジョ2.5』が出たことで、この点は少し見え方が変わる。

『制服カノジョ2.5』もまた外伝的な作品でありながら、こちらには明確にナンバリングが付いている。

もし外伝であること自体が番号なしの理由なら、『2.5』にも番号を付けないという選択肢はあり得たはずである。

しかし、制作側はそこに「2.5」という番号を付けた。

ここには、何らかの意図があると見ていいと思う。

2.5はナンバリング本編寄りの外伝である

実際、『制服カノジョ2.5』は外伝的な立ち位置にありながら、まよいごエンゲージのようにOP哲学そのものを物語化する作品ではない。

むしろ、古賀希望との関係性とイチャイチャの継続を中心にした、ナンバリング本編寄りの作りになっている。

ここが重要である。

『まよいごエンゲージ』は、制服カノジョOPの哲学を別領域で物語化する作品だった。
夢羽は制服カノジョ活動の外側にいながら、「不透明な私」から「私の色」へ向かっていく。
その意味で、まよいごエンゲージは本編的方法論とは違う役割を持った外伝だった。

一方で、『2.5』は外伝的でありながら、方法論としては本編に近い。

本編ナンバリング作品が重視しているのは、物語を重くしすぎず、カノジョと過ごす時間を供給することだ。
『2.5』もまた、その延長にある作品として読める。

つまり、制服カノジョシリーズには、おそらく二種類の外伝がある。

ひとつは、本編的方法論に属する外伝である。

これは『2.5』である。
ナンバリングが付いており、シリーズ本編の方法論に近い場所に置かれている。

もうひとつは、哲学を物語化する外伝である。

これは『まよいごエンゲージ』である。
ナンバリングされず、制服カノジョ活動そのものではなく、制服カノジョ哲学そのものを別領域で実装している。

そう考えると、『まよいごエンゲージ』に番号がないことは、単なる外伝扱いではなく、作品の役割の違いとして読むことができる。

まよいごエンゲージは「1.5」ではない

以上を踏まえると、『まよいごエンゲージ』は「1.5」ではない。

もちろん、発売順を説明するために便宜的に「1.5」と呼ぶことはできる。
初代の後、2の前に出た作品だからである。

しかし、作品の役割としては「1.5」ではないと思う。

まよいごエンゲージは、初代と2の間に挟まる補助エピソードではない。
初代の方法論をそのまま継承した本編でもない。

むしろ、初代OPで提示された哲学を、本編とは別の場所で一度だけ物語として立ち上げる作品である。

だからこそ、まよいごエンゲージはナンバリングされなかったのだと思う。

ナンバリング作品は、初代で確立された「物語を重くしすぎず、カノジョと過ごす時間を供給する」方法論に属する。
一方で、『まよいごエンゲージ』は、その本編ではあえて語られなかったOP哲学を、夢羽の物語として実装するための特殊な外伝だった。

つまり、まよいごエンゲージは本編の途中に挟まる補助エピソードではなく、本編とは別の役割を担う作品だったのだと思う。

物語は外伝で成立し、本編で愛が継続される

この見方は、『制服カノジョ3』によってさらに補強される。

『制服カノジョ3』では、『まよいごエンゲージ』の夢羽と『制服カノジョ2.5』の希望の「その後」からスタートする物語として紹介されている。

これは非常に興味深い。

少なくとも夢羽ルートは、まよいごエンゲージ側の主人公との関係性を引き継ぐものとして扱われているように見える。

ここで、単純な「まよいごは主人公が違うから番号がない」説はかなり弱くなる。

なぜなら、夢羽の物語は外伝で成立し、その“その後”がナンバリング本編へ回収されるからである。

つまり、物語を外伝で成立させ、本編ではその愛を継続させる。

この分業こそが、制服カノジョシリーズの重要な構造なのだと思う。

本編ナンバリングでは、キャラクタとの関係を重く作り直すのではない。
すでに成立した関係を、甘い継続時間として供給する。

ここに制服カノジョの誠実さがある。

本編は“その後”を供給する場所になる

従来のノベルゲームでは、物語の終わりはそのままキャラクタとの関係の終わりになりがちだった。

ヒロインと結ばれる。
エンディングを迎える。
物語は終わる。

その後の時間は、基本的にはプレイヤーの想像に委ねられる。

もちろん、それはそれで美しい形式である。
物語には終わりがあり、終わるからこそ完成する。

ただ、その形式には弱点もある。

キャラクタを好きでい続けても、その好きでいる時間を作品側が受け止めてくれるとは限らない。

続編が出ても、新しい主人公、新しいヒロイン、新しい物語が中心になる。
過去に好きだったヒロインは、背景へ下がる。
外伝ヒロインやサブキャラクタは、そのまま忘れられる。

作品は続いているのに、自分の好きだったキャラクタだけが遠ざかっていく。

これはかなり苦しい。

制服カノジョは、そこに対して別の姿勢を取っているように見える。

外伝で成立した関係を、ナンバリング本編へ回収する。
過去のヒロインや外伝ヒロインを、再びカノジョとして扱う。
好きでい続けたキャラクタに、もう一度光を当てる。

これは単なるファンサービスではない。

シリーズとして、キャラクタ愛の継続に応えようとしている。

現代キャラクタIPへの応答

ここで、制服カノジョの位置づけが少し見えてくる。

現代では、キャラクタとの関係が継続すること自体に価値がある。

ソーシャルゲームには、終わらない物語がある。
イベントが続き、季節ごとの衣装があり、新しいボイスが追加され、キャラクタは長く供給される。

Vtuberには、共にあるキャラクタがいる。
日々配信があり、出来事があり、視聴者は現在進行形の存在としてキャラクタと関わる。

キャラクタは、作品の終わりとともに消える存在ではなくなっている。

それに対して、従来型のノベルゲームは弱い。

物語が終われば、キャラクタとの接続も終わる。
続編が出ても、新しいヒロインが出てくる。
過去に好きだったキャラクタは、背景へ下がっていく。

もちろん、それはノベルゲームという形式の美しさでもある。
完結する物語だからこそ、キャラクタとの時間が濃くなるという側面もある。

しかし一方で、現代のキャラクタ消費の中では、それだけでは足りなくなっている。

キャラクタを好きでい続けること。
好きでいた時間が無駄にならないこと。
その愛に、作品側が何らかの応答を返すこと。

そういうものが、今のキャラクタIPには求められている。

制服カノジョは、その状況に対するノベルゲーム側からの一つの回答だと思う。

好きでい続けていいという保証

制服カノジョシリーズが面白いのは、キャラクタを好きでい続けることに対して、制作側がかなり誠実に応答しているように見えるところである。

外伝ヒロインを再びプレイアブル化する。
サブキャラをヒロインに昇格させる。
好きでい続けたキャラクタに、もう一度光を当てる。

これは、ただの人気キャラ再利用ではないと思う。

もちろん商業的な理由はある。
夢羽単独のファンディスクを出すのは難しい。
古賀先生単独で大きな展開をするにも限界はある。
だから『制服カノジョ3』という器でまとめて出す、という判断は当然あるだろう。

ただ、商業的理由があることと、シリーズとしての思想があることは矛盾しない。

むしろ、商業的な条件の中で、どのような形式を選ぶかに思想が出る。

制服カノジョは、外伝で成立した関係を、本編へ回収する形式を選んだ。

それはつまり、

好きでい続けていい。 その愛に制作側は応える。

という態度である。

これが、制服カノジョシリーズの大きな魅力だと思う。

物語を知らないのではなく、置き場所を選んでいる

ここまで見ると、制服カノジョは「話が薄いゲーム」では済まない。

たしかに、初代本編は話が薄い。
イチャイチャするだけと言ってもいい。

だが、それは物語を知らないからではない。

初代OPには、はっきりと哲学がある。
まよいごエンゲージでは、その哲学を物語として実装している。
2.5では、外伝的な立ち位置でありながら、ナンバリング本編寄りのイチャイチャ継続を供給している。
3では、外伝で成立した関係を、その“その後”として本編へ回収しようとしている。

つまり、制服カノジョは物語を作れないのではない。

物語をどこに置き、どこでは捨てるかを選んでいる。

本編では、物語を重くしすぎない。
カノジョと過ごす時間を中心に置く。
哲学や痛みや社会的な重さは、必要なときに外伝で引き受ける。
そして、外伝で成立した関係は、本編で甘い継続時間として供給する。

この分業が、制服カノジョシリーズの構造なのだと思う。

制服カノジョはちゃんと作ってある

こうして見ると、制服カノジョ初代とまよいごエンゲージ、そしてシリーズ全体の構造は、綺麗に繋がっている。

初代は、OPに哲学を置きながら、本編ではそれを語らず、物語を破棄してイチャイチャに徹した。

まよいごエンゲージは、そのOP哲学を夢羽の服装と物語に落とし込み、あえて重さを引き受けた。

ナンバリング作品は、初代で確立された「物語を重くしすぎず、カノジョと過ごす時間を供給する」方法論を継承する。

そして『3』では、外伝で成立した関係を、その“その後”として本編へ回収する。

つまり、

初代=哲学を提示して、物語を破棄する作品
まよいごエンゲージ=哲学を物語化して、シリーズへの信用を積み増す作品
ナンバリング作品=成立した愛を継続させる本編

である。

この三つを合わせて見ることで、制服カノジョというシリーズの狙いはかなりはっきりする。

制服カノジョは、ただ軽いだけのギャルゲではない。
軽く見えるように、ちゃんと作ってあるギャルゲである。

物語を知らないのではない。
物語を作れないのでもない。
物語がキャラクタ愛の継続を邪魔するなら、あえて捨てる。
必要なときには、外伝で物語を引き受ける。
そして、その後の甘い時間をナンバリング本編で供給する。

この判断が、制服カノジョというシリーズの面白さだと思う。

結論

制服カノジョシリーズは、ノベルゲームにおける物語の解体実験である。

同時に、キャラクタ愛の継続実験でもある。

OPは、そのための哲学を提示する。
初代本編は、その哲学をあえて語らず、安心してイチャイチャできる時間を供給する。
まよいごエンゲージは、その哲学を物語として実践し、シリーズが単なる軽さだけで成立しているわけではないことを証明する。
ナンバリング作品は、成立した愛を継続させる場所として機能する。

だからこそ、夢羽が制服カノジョ3で再びプレイヤーと肩を並べて歩けるヒロインとして帰ってこられることには、心から賛辞を送りたい。

制服カノジョは、好きでい続けていいと言ってくれるシリーズである。

その一点において、かなり誠実なコンテンツだと思う。

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