制服カノジョ関連記事
- その1:制服カノジョ初代論 OPに置かれた「不透明な私」と、物語を捨てるギャルゲ
- その2:制服カノジョ まよいごエンゲージ論 夢羽は「私の色」をどう取り戻したか
- その3:制服カノジョシリーズ論 ナンバリング、外伝、そして好きでい続けていいという保証
制服カノジョ初代をプレイした
制服カノジョ初代をプレイした。
良い意味で毒にも薬にもならないシナリオではあるのだが、ギャルゲとしては新しい立ち位置にある作品だと思う。
一見すると、やっていることは極めて単純である。
女の子と出会い、付き合い、イチャイチャする。
イベントらしいイベントはあるが、物語として大きく起伏するわけではない。
主人公の過去も、ヒロインの問題も、いわゆるノベルゲーム的な意味で深く掘り下げられるわけではない。
だから、普通に評価すれば「話が薄い」と言われても仕方がない。
ただ、制服カノジョという作品を見ていると、これは単なる薄さではないように見える。
むしろ、かなり意識的に物語を捨てている作品なのではないかと思う。
そして、そのことを考えるうえで重要になるのが、OPで提示されている制服カノジョの哲学である。
OPに置かれた制服カノジョの哲学
制服カノジョのOPは、単なる作品紹介ソングではない。
むしろ、作品全体の哲学を先に提示する役割を持っている。
OPにおいて、制服はただの可愛い衣装ではない。
制服とは、学校、年齢、立場、周囲から見られる自分、学生らしさ、女の子らしさといったものを背負った服である。
つまり、制服は外側から与えられた輪郭であり、社会的な記号である。
その意味で、制服は一種の社会的拘束だと思う。
ここで重要なのは、OPが「本当の私が分からない」という問題を、制服という服装の問題として描いていることだ。
制服とは「不透明な私」である
OPで印象的なのは、まず「不透明な私」という表現である。
ここで言われているのは、「私そのものが不透明である」ということだけではない。
むしろ、自分が何かを着込んだ状態にある、という感覚である。
その何かとは、制服であり、学校であり、周囲から期待される役割であり、誰かと比べられる中で作られてしまった仮の自分である。
自分らしく生きたい。
しかし、自分らしさが何なのかは分からない。
どう変わればいいのかも分からない。
そこにマニュアルはない。
だから、少女たちは何かを纏う。
周囲から期待される姿を纏う。
誰かと比べられる中で作られた仮の自分を纏う。
その状態が、OPでいうところの「不透明な私」なのだと思う。
しかも、その不透明さは、完全に無自覚なものではない。
どこかで「これは本当の私ではないのではないか」と気づいている。
けれど、どうすればそこから抜け出せるのかが分からない。
この曖昧な苦しさが、OPの出発点にある。
誰かをなぞって歩く弱さ
OP前半で描かれるのは、自分の輪郭を自分で作れない状態である。
自分らしくありたいと思っている。
しかし、その自分らしさを直接つかめない。
だから、誰かをなぞる。
誰かの正しさ。
誰かの可愛さ。
誰かの大人っぽさ。
誰かの生き方。
誰かの成功の形。
そういうものを真似しながら歩く。
ここで描かれている弱さは、単に心が弱いという意味ではない。
自分の色を持てないまま、他人の輪郭で生きてしまう弱さである。
これは普遍的な感覚だと思う。
別に大きなトラウマがなくても、人は普通に誰かと比べる。
誰かのようになろうとする。
そのうちに、自分が何をしたかったのか分からなくなる。
制服カノジョのOPは、そこをかなり正直に描いている。
「今日こそは」と着る制服の弱さ
さらに面白いのは、制服を着ることが、小さな決意として描かれているところである。
今日こそは変わりたい。
今日こそは自分らしくいたい。
そう思って制服を着る。
しかし、その制服は同時に、いつもの役割へ自分を戻してしまう服でもある。
制服を着た瞬間に、学校の自分になる。
周囲から期待される自分になる。
学生らしく、女の子らしく、誰かと比べられる自分になる。
つまり、変わるために着たはずの制服が、むしろ自分を「まだ変われない私」へ戻してしまう。
ここは残酷である。
制服カノジョは、制服を無邪気に肯定しているわけではない。
まず制服を、未熟さや拘束や比較の象徴として提示している。
だからこそ、そこから制服の意味を変えていくことに意味が生まれる。
背伸びした人生が自分らしさを奪う
OPの中心にあるのは、自分らしく生きたいという願いと、誰かと比べてしまう日々の矛盾である。
自分らしくありたいなら、本来は比較から降りなければならない。
しかし、人間はそう簡単には降りられない。
あの子の方が可愛い。
あの子の方が大人っぽい。
あの子の方がうまくやっている。
あの子の方が選ばれている。
そう思ってしまう。
そして、比較の中で背伸びをする。
ちゃんとしているように見せる。
周囲に認められるように振る舞う。
求められる自分を演じる。
だが、その背伸びが、かえって自分らしさを奪っていく。
ここで言われる「背伸び」は、単なる成長願望ではない。
それは、自分の内側から出た成長ではなく、外側に合わせるための過剰な適応である。
制服は、その背伸びの象徴でもある。
制服を着ることで、大人に近づいたように見える。
ちゃんとした存在に見える。
社会に属しているように見える。
しかし、その服が自分の色を覆い隠してしまう。
この逆説が、制服カノジョOPの重要な部分だと思う。
春風は変化の契機である
そこに吹いてくるのが春風である。
OPでは、最初に纏っていたものが不透明な私であり、サビでは春風を纏うようになる。
この変化は重要である。
纏うものが変わるのだ。
社会的拘束としての制服から、変化の気配としての春風へ。
誰かの色をなぞる状態から、自分だけの色へ。
不透明な私から、私の色へ。
この春風は、いくつかの意味を重ねていると思う。
主人公との出会い。
制服カノジョ活動。
春という季節そのもの。
そして、自分を動かす外からの契機。
一点に固定する必要はない。
むしろ、外から吹いてきて、止まっていた自分を動かすもの全体として読めばいいと思う。
春風に触れることで、少女は比較から降りようとする。
誰かと比べるのをやめ、自分の色を見つめる方向へ進む。
ここで初めて、制服カノジョの中心概念である私だけの色が出てくる。
ただし、その色はどこか遠くにあるものではない。
もともとここにあったものとして歌われる。
つまり、自分らしさは新しく作るものではなく、すでにあったものを見つけ直すものなのだ。
偽色とは何か
二番で出てくる「偽色」という言葉も重要である。
偽色とは、私の色ではない色である。
誰かに合わせた色。
周囲から期待された色。
背伸びして作った色。
比較の中でまとってしまった色。
つまり、偽色とは、不透明な私を構成していた外側の色である。
そしてOPでは、自分の色が最初からあったにもかかわらず、それを見えないふりをしていたという認識が出てくる。
ここが良い。
単に見えなかったのではない。
見えないふりをしていた。
なぜなら、見てしまえば変わらなければならないからである。
自分の色があると認めてしまえば、それを選ぶ責任が生まれる。
誰かをなぞって歩くことができなくなる。
だから逃げていた。
制服カノジョのOPは、自己肯定を単純な明るさとして描いていない。
自分らしさを見つけることには、怖さがある。
そこをちゃんと描いている。
追い風があっても踏み出せない
特に誠実なのは、追い風があっても踏み出せない感覚である。
春風は吹いている。
変化の契機は来ている。
自分の色も、どこかで見え始めている。
それでも、変わることは怖い。
これは大事だと思う。
多くの物語では、出会いがあれば変われる。
恋をすれば救われる。
きっかけがあれば踏み出せる。
しかし、現実にはそう簡単ではない。
追い風があっても、人は踏み出せない。
自分の色を見つけても、それを表に出すのは怖い。
不透明な私を脱ぐことは怖い。
この怖さをOPはきちんと置いている。
だからこそ、制服カノジョ本編がその怖さを直接ドラマにしないことにも意味がある。
本編は、変わることの怖さを正面から描くのではなく、カノジョと一緒にいる時間の中へ溶かしていく。
未完成な私を纏う
終盤では、不透明な私もやがて当たり前に大人になる、という認識が出てくる。
ここは、単純な希望ではないと思う。
不透明なままでも、人は大人になってしまう。
自分の色を見つけられなくても、時間は進む。
未完成なままでも、社会の中で大人として振る舞う日は来る。
だからこそ、未完成な私を纏うという表現が効いてくる。
この歌は、完成された私になる歌ではない。
未完成なまま、自分の色を探していく歌である。
ここが制服カノジョらしい。
制服カノジョは、自分探しの完成を目指していない。
むしろ、未完成さや青さや憂いを抱えたまま、それでも自分の色で日々を彩っていくことを肯定している。
青春の憂いごと、自分を彩る
ラストでは、悩ましさや青さも含めて、自分を彩るものとして受け取られていく。
ここで重要なのは、悩みや未熟さが消えるわけではないことだ。
青春の憂いも、青い日々も、そのまま残る。
しかし、それらはもはや自分を不透明にするだけのものではない。
自分を彩るものになる。
つまり、制服カノジョOPの到達点は、苦しみや未熟さを消すことではない。
それらを含めて、自分の色に変えていくことだ。
これが、不透明な私から私の色への変換である。
ただし、この哲学は本編ではほとんど描写されない(笑)
ここまで見れば、制服カノジョOPが単なる雰囲気づくりではなく、作品全体の読み方を先に提示する“哲学の置き場”であることが分かる。
だからこそ問題になるのは、この哲学が本編でほとんど語られないという点である。
制服を社会的拘束として置き、
誰かをなぞる弱さを描き、
背伸びによって自分らしさを失う矛盾を描き、
春風によって変化の契機を得て、
偽色に気づき、
それでも変わることを怖がり、
未完成なまま私の色を獲得していく。
OPには、かなり明確な哲学がある。
しかし、ここが制服カノジョの面白いところなのだが、この哲学は本編ではほとんど描写されない(笑)
普通なら、物語本編でこの哲学を回収する。
ヒロインたちが自分らしさを見つける。
主人公の過去が癒やされる。
制服カノジョ活動の意味が物語として深まる。
そういう展開にするはずである。
だが、制服カノジョ初代はそれをしない。
OPで丁寧に哲学を提示しておきながら、本編ではその哲学をほとんど触らず、ひたすらカノジョとイチャイチャする。
これは失敗ではなく、意図的な構造だと思う。
というのも、OPは制作物として重い。
歌詞、楽曲、映像、キャラクタの見せ方。
そこに「不透明な私」「偽色」「私だけの色」といった概念を置くことは、偶然の産物ではない。
それほど明確な哲学をOPに置いておきながら、本編でそれをほとんど語らない。
これは、語れなかったというより、語らないことを選んだと見る方が自然だと思う。
初代OPはシリーズ全体の哲学的定礎である
さらに重要なのは、初代以降のOPが同じような重い哲学を繰り返していないことだ。
初代OPでは、「不透明な私」「偽色」「私だけの色」といった概念が明確に提示されている。
しかし、その後のOPはより軽く、イチャイチャやキャラクタの魅力を前面に出す方向へ移っていく。
これは、初代OPの哲学が忘れられたというより、初代で一度置かれたものとして扱われているのだと思う。
つまり、初代OPは初代本編だけでなく、シリーズ全体の哲学的定礎である。
そこで「制服とは何か」「自分の色とは何か」が提示され、それ以後の作品では、その哲学を繰り返し語るのではなく、安心してキャラクタと過ごす時間を供給する方向へ進んでいる。
この意味で、OPと本編の落差は失敗ではない。
むしろ、初代OPで哲学を提示し、本編ではそれを語らないという構造そのものが、制服カノジョの方法論なのだと思う。
物語を破棄するギャルゲ
なぜそんなことをするのか。
それは、制服カノジョが物語を破棄することに重きを置く作品だからだと思う。
ギャルゲに代表されるノベルゲームでは、基本的に物語が主となる供給物である。
ヒロインの葛藤。
主人公の傷。
関係性の変化。
クライマックス。
救済。
そうしたものが作品評価に直結してきた。
しかし制服カノジョは、そこを大胆に捨てている。
主人公には過去の傷がある。
だが、そのトラウマは物語上で直接的に回収されない。
トラウマを克服するためのドラマがあるわけではない。
それよりも、目の前のカノジョと今ここにいることで、本人の気が紛れていく。
これは面白い。
物語の文法であれば、トラウマは克服されるべきものとして扱われる。
だが制服カノジョでは、トラウマは明確に克服されない。
ただ、カノジョと過ごす時間の中で薄まっていく。
つまり、制服カノジョは「トラウマ→克服」という物語の文法を意図的に無視している。
そして、それでいいのだと作品は言っているように見える。
ギャルゲの本質はイチャイチャである、という割り切り
制服カノジョの割り切りは明確である。
ギャルゲの本質とは女の子とイチャイチャすることであり、物語はそれを盛り上げるためのトッピングのようなもの。
制服カノジョは、そう見なしているように見える。
これは乱暴な言い方かもしれない。
しかし、美少女を中心に据えた恋愛ゲームという形式を選んだ時点で、作品はすでにキャラクタとの親密な時間を主な供給物としている。
イチャイチャが不要なら、そもそも美少女ゲームである必要性はかなり弱い。
だから制服カノジョは、その前提を隠さない。
むしろ、そこへ徹底的に寄せる。
話を重くしない。
葛藤を積み上げない。
プレイヤーに苦しみを与えない。
カノジョと過ごす時間そのものを、供給物の中心に置く。
これが制服カノジョの基本姿勢である。
もちろん、これは単なる手抜きではない。
むしろ、物語を削ることで、キャラクタと過ごす時間だけを前面に出している。
ここに、制服カノジョ初代の新しさがある。
次回へ
初代『制服カノジョ』は、OPにかなり明確な哲学を置きながら、本編ではそれをほとんど語らない作品だった。
では、そのOP哲学は本当に物語化されなかったのか。
その答えが、外伝『制服カノジョ まよいごエンゲージ』にある。
次回は、まよいごエンゲージにおいて、夢羽というキャラクタがどのように「不透明な私」から「私の色」へ向かっていったのかを見ていきたい。
制服カノジョ関連記事
- その1:制服カノジョ初代論 OPに置かれた「不透明な私」と、物語を捨てるギャルゲ
- その2:制服カノジョ まよいごエンゲージ論 夢羽は「私の色」をどう取り戻したか
- その3:制服カノジョシリーズ論 ナンバリング、外伝、そして好きでい続けていいという保証


コメント